@article{oai:lib.cku.repo.nii.ac.jp:02000103, author = {宗村, 敦子 and Munemura, Atsuko}, issue = {70}, journal = {千葉経済論叢, CHIBA KEIZAI RONSO}, month = {Jun}, note = {旧南アフリカ連邦における産業学校の存在は、教育史では非就学児のための補助的な教育機関という位置づけにとどめられてきた。今日では1920年代の変化を、中等教育と職能訓練の接続を意識した福祉国家体制の形成の端所とみる議論がなされている。しかし、プア・ホワイト政策が展開したなかで、女子産業学校は白人女子児童にのみ用意されていたと先行研究では述べられてきた。ただし、後期戦間期までは人種分離がなされなかったパール産業学校という例外もあった。パール産業学校の設備は「女子の手仕事」を教育する場として繰り返し拡張されていったが、1920年代の同校はまだ人種分離の場ではなかった。むしろ同校は、1930年代以降になって「原住民教育」政策に応用されるようになる、優勢学思想にもとづいた教育指針が醸成された場であった。}, pages = {95--118}, title = {1920年代南アフリカ連邦における『女子の手仕事』の教育史 -パール女子産業学校を中心に-}, year = {2024}, yomi = {ムネムラ, アツコ} }